2016年07月22日 徒然日記

皇太子同妃両殿下、敬宮殿下 奈良県行啓奉迎行事参加

去る7月21日、 皇太子同妃両殿下は 敬宮殿下を御同伴になり、神武天皇山陵を御参拝の為、奈良県橿原市へ行啓遊ばされました。

今年は神武天皇が崩御されてから2600年という式年の年であり、4月には天皇皇后両陛下が神武天皇二千六百年式年祭の儀、神武天皇山陵の儀に付き、行幸啓遊ばされました。

当日午後2時頃、近鉄橿原神宮前駅の中央ロータリーから橿原神宮までの沿道にずらりと並ばれた方々へ日の丸小旗を配布し、奉迎の準備を整えました。

いよいよ、 皇太子同妃両殿下、敬宮殿下がお出ましになると、子どもからお年寄りまで皆一斉に旗を振りました。私達神道青年会の参加者も力一杯旗を振りお出迎えしました。

この度 皇太子同妃両殿下、敬宮殿下を奉迎させて頂けた好機に感謝し、その際に賜った「あたたかい笑顔」に胸を熱くし、今後益々の皇室の弥栄を心より祈念申し上げます。

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2016年04月03日 徒然日記

天皇皇后両陛下 奈良県行幸啓奉迎行事参加

去る4月2日、天皇皇后両陛下は神武天皇二千六百年式年祭の儀、神武天皇山陵の儀に付き、奈良県橿原市へ行幸啓遊ばされました。
当日、午後2時30分頃、近鉄橿原神宮前駅の中央ロータリーから橿原神宮駐車場区間に参集した方々へ、日の丸小旗を配布すると共に、参加者一同小旗を振って両陛下をお出迎えしました。
引き続き、午後5時から橿原神宮前駅中央ロータリーにて、提灯奉迎に参加致しましたが、宿泊先の橿原ロイヤルホテルの一室より、有難くも両陛下が提灯をお振りになり御答礼遊ばされると歓声が沸き起こり、参加者一同、両陛下との一体感を実感し、この上無い喜びを感じました。
両陛下のご来県に感謝し、今後益々御皇室の弥栄を心からお祈り申し上げます。

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2016年03月10日 徒然日記

橿原神宮本殿遷座祭奉仕並びに姉妹神青交流会

去る平成28日年3月8日、橿原神宮本殿遷座祭 遷座の儀に、奈良県神道青年会と姉妹神青として交流のある宮崎県神道青年会の他に近畿地区各府県の神道青年会等総勢48名と共に奉仕をさせて頂きました。

当日は午後1時に齋館に集合し改服の後、習礼(しゅらい)。各自所役の確認並び次第確認等を行い、奉仕に向けての準備を整えました。
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午後6時35分齋館より参進。午後7時 、境内は静まり、 神職にも緊張感が漂い、 厳粛な雰囲気の中、 祭典が斎行されました。

暗闇の中、雅楽の音色に包まれながら、 滞りなく 「御」が本殿に奉安されました。
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又、祭典後には笑笑橿原神宮前東口駅前店にて姉妹神青である宮崎県神道青年会との交流会が開催されました。和気藹々と語り合い、非常に有意義な時間を過ごす事が出来ました。
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この貴重な経験を大切に今後も神明奉仕に励みたく思います

2016年03月01日 徒然日記

第3回 勉強会 五條市 御霊神社(近内町)参拝・NPO法人うちのの館 登録有形文化財「藤岡家住宅」拝観


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2月23日午後2時30分より第3回勉強会を開催し会員9名が参加。今回は神田憲明副会長が宮司として奉務する五條市近内町に鎮座する御霊神社への正式参拝と神社に隣接する登録有形文化財 藤岡家住宅の拝観を行いました。

正式参拝では花房会長が代表で玉串を奉り拝礼、引き続き社殿前にて記念撮影!ふ宮司さんより御霊神社について懇切に説明をいただきました。

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五條市内には御霊神社という名称の神社が約20社近く鎮座し、何れも聖武天皇皇女井上(いのえ)内親王が御祭神として奉祀されています。今回参拝の近内町御霊神社は鎌倉時代嘉禎4年(1238)宮分けの神社で、森厳な境内よりは金剛山の眺めも素晴らしく江戸時代に建立の春日造り極彩色の社殿は古社の風格を漂わせており、拝殿内部に掲揚されている大絵馬の数々は保存状態も良く往古からの信仰の厚さを彷彿とさせます。宮司さんの説明では御例祭は10月第4土曜日に齋行され神幸祭では氏子三カ大字の御旅所を巡幸、例祭期間中は社殿前にすすき提灯が立ち並び壮観を呈するとのことでした。因みに鎮座地の「近内(ちかうち)」は南北朝時代よりある地名で「宇智(うち)郡」と呼ばれた五條市北部の中で大和平野に近い部分とういう意味からというのが通説とのことで、このことからも古き土地柄の信仰の歴史を感じさせます。

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その後、徒歩にて神社に程近い、藤岡家住宅に移動し拝観。藤岡家は江戸時代を通じての両替商、質商、薬種商、染物商なども営んだ庄屋で、戦前の官選知事であり俳人としても著名であった藤岡長和(俳号 玉骨)の生家でもあります。長らく空き家になっていた屋敷は現当主が修復し、現在はNPO法人うちのの館が管理し、平成20年11月より公開されています。江戸から明治期にかけての建物十棟が残り、店の間のある母屋は天保三(1832)年の建造。往時の藤岡家の息吹をよく伝えております。今回の修復によって生まれ変わった屋敷は、「見て楽しむだけではない」というのが他の施設とは趣の異るところ。各部屋には藤岡家代々に伝わる収蔵物が季節毎に展示され、明治45年建造の大広間は、俳句会やお茶席、会議にも利用でき、大広間に続く広縁からは、修復された美しい庭の眺めは四季折々の移ろいとともに姿を変え愉しめるとの説明でありました。またかつての内蔵は藤岡家の繁栄振りを示すが如く柱や梁が重厚で、現在は二階部分に藤岡長和と交流の深かった与謝野晶子をはじめとする文人の資料が所狭しと展示されており、一階部分は近世の生活様式を伝える品々を実際に手に触れ体験できるという特徴的なものでありました。収蔵資料は未だ学芸員の方々が整理中とのことで、今後も数々の貴重な発見が期待できるとのことです。
大和と紀州を結び今も文化の行き交う五條の地は見所満載です。是非皆様もお近くにお越しの際は、御霊神社にお参りされ藤岡家住宅を見学されては如何でしょうか。

御霊神社(近内) 五條市近内町1081番地2
TEL / FAX: 0747-23-5336      詳しくは当会HP奈良県神社検索でご覧下さい

藤岡家住宅  奈良県五條市近内町526番地
TEL / FAX:0747-22-4013

■開館時間 9:00~16:00

■休館日 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)
■入館料(維持管理協力金)
大人300円 6歳~中学生200円

20人以上は20%の団体割引有
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2015年11月28日 徒然日記

南都聖和会との交流会開催

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南都六大寺(興福寺・西大寺・唐招提寺・東大寺・法隆寺・薬師寺)の青年僧侶で組織される隣山会青年部の南都聖和会と当会は昭和六十年より交流を開始しており平成十一年よりは毎年この時期に研修会を兼ねた親睦交流を重ねております。
両会が隔年で企画幹事をつとめており、今年は当会が幹事として進めさせていただき、11月9日、神武天皇二千六百年祭を控え境内整備を進められて いる橿原神宮での参拝研修を実施致しました。現在、御本殿は三十九年振りに御屋根檜皮根葺き替え工事中であり、御霊代は仮殿となっている幣殿にお鎮まりになっていることから、普段一般では目に触れる機会のない立ち入れない御垣内の間近にて特別に拝観する機会を得ました。御本殿は安政二年建築と伝わり約一六〇年前に京都御所の内待所(賢所)であったものを、同神宮御創建の明治二十三年に明治天皇の御聖慮により御本殿として移築されたもので、文化財的にも貴重なことから国の重要文化財に指定されております。橿原神宮権禰宜で当会の多田佳史事務局長より平素の御奉仕の様子から社殿の特徴まで詳しく説明を頂きました。また昭和四十三年に、織田家旧柳本藩邸の表向御殿を同神宮境内に移築、復元した文華殿の拝観も続いて実施。江戸時代末期の天保十五年に建立された屋形の一部分で、一万石藩邸の遺構として珍しい存在としてこちらも重要文化財に指定されており、当時の武家の生活様式について学ぶなど神職・僧侶を問わず境内の維持管理、整備については関心が高かったようであり、有意義で時宜を得た研修会となりました。
その後、同神宮近くに隣接する橿原観光ホテルに場所移しての懇親会が行われ、神仏談義に花を咲かせ夜の更けるまで大いに親睦を深めました。奈良の地で伝統文化を継承する者どうしが互いに研鑽を深め、これからも社会貢献の一助となるべく交流が続くことを約して散会。来年は南都聖和会の皆様による交流会を実施予定です。

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2015年10月23日 徒然日記

大東亞戰爭終結七十年並第二一回全國戰歿學徒追悼祭 ・ 奈良県護国神社秋季大祭並終戦七十年臨時奉幣祭

大東亞戰爭終結七十年 第二一回全國戰歿學徒追悼祭

去る10月21日 全國戰歿學徒を追悼する会(永田秀一会長)が主催する「第二十一回全國戰歿學徒追悼祭」が鳴門海峡も程近い風光明媚な兵庫県南あわじ市の大見山にある戦没学徒記念公園「若人の広場」で挙行され、当会より花房会長・高山副会長・持田相談役が参列、梶本会員が祭員として奉仕致しました。 この祭典は、昭和18年10月21日に東京 明治神宮外苑陸上競技場で出陣学徒壮行会が開催されたことに因み、「若人の広場」記念塔前にて平成7年より毎年挙行され今年で21回目となり、祭典運営は毎年 地元 兵庫県神道青年会が中心となり設営されております。 「若人の広場」は昭和42年に開設されており建築家 故丹下健三氏設計の「若者よ 天と地をつなぐ灯たれ」と刻まれた慰霊塔、そして塔の元にある「永遠の灯」を中心に据えるた全国で唯一、先の大戦において学業半ばで戦地に赴き又は軍需工場等に動員され戦歿された全ての学徒英霊を追悼する施設であります。施設は平成7年の阪神淡路大震災の後、閉鎖となりましたが、この年は戦後50年であり地元有志の熱意により第1回追悼祭が挙行され今回に至っております。本年3月には「若人の広場」の大改修が完成し慰霊と平和希求の公園は蘇って再開しました。 本年は折しも大東亞戰爭終結七十年 第二一回全國戰歿學徒追悼祭として挙行され、午前10時30分、斎主 神道青年近畿地区連絡協議会 長谷川裕高会長以下祭員奉仕により厳粛且つ盛大に齋行されました。祭典では宗派の枠を超えて仏教による般若心経の神前読経、キリスト教による賛美歌の奉唱が行われるなど独特の雰囲気があり、今回は特に裏千家前家元で先の大戦で出陣学徒として入営のご経験がある鵬雲斎千玄室大宗匠が今年の追悼祭には「是非とも戦友にお茶を献じたい」とのご連絡を受け、神前に優雅なお手前をご奉仕頂いたほか、72年前の往事を偲ばれ戦禍に散華された戦友達に献茶できたお悦びのご挨拶もありました。 この祭典は毎年10月21日 「若人の広場」公園にて挙行されており、施設は戦歿学徒を慰霊顕彰する施設として年中開園されておりますので、是非ともお越し頂ければと存じます。

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奈良県護国神社秋季大祭並終戦七十年臨時奉幣祭

翌10月22日は奈良市古市町に鎮座する奈良県護国神社(宮田康弘宮司)において秋季大祭が齋行され、宮田宮司斎主のもと奈良県県神社庁各支部の代表が祭員として、そして恒例により当会よりは花房会長が典儀として奉仕致しました。また本年は終戦70年の節目であることから、天皇陛下には特別の思し召しにより全国の護国神社(旧内務省指定護国神社)に対して幣饌料の御供を仰せ出されその伝達があったことから、今年は秋季大祭に併せて終戦七十年臨時奉幣祭として齋行され、奈良県神社庁森正光庁長(石上神宮宮司)が献幣使として参向。神前に天皇陛下の幣饌料が献じられたほか、巫女による浦安の舞の奉奏された。また拝殿及び齋庭テントには県内遺族崇敬者約1000名が参列し一同で、大正琴の演奏に合わせ「同期の桜」「異国の丘」の奉唱があり厳粛且つ盛大な祭典となりました。 奈良県護国神社は昭和17年、全県民の熱誠により御創建された県出身戦歿英霊約三万柱を御祭神とする神社で、境内は万葉の故郷、高円の杜と親しまれる約一万五千坪を誇る広大な神域で、椿の名所としても知られております。 現代に生きる我々は全ての戦歿英霊の貴い犠牲の上に平和を享受しております。このブログをご覧の皆様!奈良県護国神社は英霊の御心に接することが出来、感謝の真心を捧げられる奈良県戦歿慰霊の中心施設であります。多くの皆様が護国神社に御参拝され次世代に英霊の御心を継承することにより祭祀の明かりを永遠に灯されます。英霊の慰霊顕彰を通じて、過去を学び未来の日本について考えてみては如何でしょうか? 当日は神道青年近畿地区連絡協議会の企画によります「戰歿學徒遺書遺影パネル」展示を護国神社参集殿にて催しました。直会席で賑わう室内に飾られたパネルの数々に多くの遺族の方々も見入られ、学業半ばで戦地に散華された御英霊を偲ばれてました。

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2015年08月20日 徒然日記

禊鎮魂錬成研修会

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去る、8月19日(水)20日(木)の両日、天理市に鎮座する石上神宮において奈良県神道青年会主催「禊鎮魂錬成研修会」が開催され近畿二府四県より26名の青年神職が集い充実した研修期間を過ごしました。

残暑尚厳しい中での研修でありましたが、石上神宮禰宜 森好央先生(神社本庁錬成行事助彦)より同神宮に古くから伝わる鎮魂行法をご指導頂き、また実際に同神宮拝殿にて鎮魂行法をさせていただけたことはとても貴重な体験であり、森厳なる境内での時間はとてもゆっくりと流れていくように感じられました。

同じく夕朝に行われた禊行法は、布留山の清水を汲み入れた禊場にてに行われました。境内には受講生全員の鳥船行事の息の合った声が響き渡り、澄み切った水に浸かっての大祓詞奏上は大変清々しいく、こちらもまた日頃の神社奉仕とはまた趣が異なったものであり有意義な時を過ごせました。

また初日の夕刻には当会恒例の勉強会が併設されており本年は終戦70年の節目の年ということもあり、当会OBで橿原神宮権禰宜であり元陸上自衛官というご経歴の金澤明信先生をお迎えし講話を拝聴しました。

自衛隊訓練時代に於いて、自衛による緊張感、空腹感等で極限状態に置かれた体験を下に、「身近にある幸せについて」講話され、一同『感謝』の精神を再認識する勉強会となりました。

毎年この研修は一泊二日と限られた時間ではありますが、各神社に奉務される方と同じ目標に向かい寝食をともにするまたとない機会でもあります。次年度も開催を致しますので多くの青年神職皆様のご参加お待ちしております。

 

2015年08月19日 徒然日記

英霊顕彰冊子

戦後70年、先の大戦で失った多くの尊い犠牲の上に現代の日本は平和を享受させていただいています。

当会々員も戦争を知らない世代であり、命を賭して守っていただいた国土・伝統・文化をどの様に次世代へ伝えるかを考える為にもこの度英霊顕彰冊子を作成しました。

奈良県出身の英霊がどのような覚悟で戦地に出征されたかを改めて学び、靖国神社・護国神社へ感謝の気持ちを持って参拝して頂く機会となれば幸いです。

是非、御一読下さい。

 

 

英霊顕彰冊子 ダウンロード

 

 

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2015年08月14日 徒然日記

奈良県神道青年会 第1回勉強会

 

~第60次 春日大社 式年造替 特別公開・参拝~

奈良県神道青年会の研修会が、去る平成27年6月22日、奈良市御蓋山の麓に鎮座まします春日大社で開催された。現在、春日大社では、第60次式年造替(しきねんぞうたい)が行われていることもあり、本来禁足地である御本殿の特別拝観が許されている。私達青年神職にとって、願ってもない見聞を深める絶好の機会として、意義深く研修開催の運びとなった。

 

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◎社頭説明

 

当日は、春日大社の一木権禰宜さんより、鄭重なご説明をいただいた。
春日大社では、1年を通して延べ2200回以上ものお祭りが奉仕されているそうです。
その中でも至高最上の神事が、20年に1度行われている「式年造替」です。式年とは「定まった一定の年限」、造替とは「社殿を造り替える」という意味で、一般的に神様がお引っ越しされるということを「遷宮」といいますが、春日大社では本殿の位置は変えずに建て替え、あるいは修復する為「造替」というそうだ。
神護景雲二年(768年)御創建以来1200年という永きにわたって連綿と繰り返されてきた式年造替は此度で60回をむかえる。

日本では美しく気高い山々を霊山や霊峰と呼び、登ることで神々の世界に近づくという山岳信仰があります。
御蓋山も古来より春日大社の神々の宿りし山として信仰を集めてきた。
奈良時代、日本国の安泰と国民の平安を祈り、現在の地に神々をお迎え祀り、創建に至ったと伝えられている。

御本殿に祀られている御祭神は、人々の願いをもって、鹿島神宮の武甕槌命、香取神宮の経津主命、枚岡神社の天児屋根命と比売神の4柱の神々が祀られている。この尊い4柱の神々は現在、移殿(うつしどの)と呼ばれる「御仮殿」に祀られている。本殿同様に御神坐が4坐設けられ、御造替完遂まで古式に則り、日々奉仕されている。

 

◎正式参拝

 
神様をより身近に感じられるこの場所で正式参拝を行った。
神霊の依り代である御神体を奉安されている御神坐の外には、六面神鏡と呼ばれる普段見ることの出来ない貴重な神鏡がつり下げられており、御神体に続く大切な物とされ、厳重に守られてきたそうだ。永い歴史の中で、この鏡が落ちた時には災いが起きたと古書の記録がある。
そのような際には宮中より勅使が参向され、随従の楽人により七日七ヶ夜の御神楽が奉納され、国家の平安を祈ったそうだ。
また、移殿は通常内侍殿(ないしでん)と呼ばれる常設の建物。古く御例祭の春日祭の折、京都御所(宮中)より、賢所にお仕えしている女性官職、内侍司(ないしのつかさ)が春日大社に奉仕の為出向かれた折、伺候していた場所であることからそう名付けられたそうだ。そこから御本殿へと続く階段は、通常よりゆるやかな傾斜に造られており、これは内侍司のお召しになっている装束で歩きやすいよう配慮がなされていると言われている。

 

◎140年の時を経て後殿の特別参拝
「神秘の磐座」初公開

 
此度の式年造替を記念して、明治維新以来、初めて御本殿の後方に位置する、後殿「うしろどの」が特別に公開され、私達も御案内いただいた。
後方から御本殿を拝観すると、第一殿から第四殿の裏にそれぞれに木が植えられており、第一殿には「榊」、第二殿と第三殿には「木斛」、第四殿には、比売神であることから、女性らしい「姫山茶花」が植えられている。さらに第一殿と第二殿の間には、白い漆喰で塗り籠められた磐座があり、このことは春日大社の古文書にもいっさい記されていないとのこと。正に神秘の磐座である。

 

~自然を畏怖し共存する心~

 

詳しい説明を聞くうちに、それぞれに意味があると感じた私は、ふと境内を見渡せば、樹齢1000年の大杉、その根本から斜めに伸びたイブキが直会殿の屋根に穴をあけて伸びている事に気づく。まるで木を生かすように配慮されているようだ。また、御本殿を取り巻く廻廊は、決して歩きやすい平坦な造りをしておらず、勾配があちらこちらで見ることができる。説明によれば、神様が宿る御蓋山の神聖性をとどめ、決して汚さぬように、極力山を削らずに社殿を建てられた経緯があり、現在も受け継がれていること。自然を守り共存する心が伝わってくる。
この話を聞いて、私は、如何に神々を迎えるということを厳粛に受け止めて、祀りと向き合って実践してきたのか、伝統と日本の祭りの心に胸を打たれ、継承していく意味を改めて考えさせられた。
いつでも新しく決して変わらないもの~
継承の意味を知る。
なぜ20年ごとにお社を造り替えるのか。これは、神道特有の「永遠」の考え方に支えられているからであろう。西洋の神殿は、今あるものが永遠に残ることを求め頑丈に造られています。日本に於いても奈良市の法隆寺は1400年も前に建てられており、春日大社に於いても、同じく永遠に残る物を造ることは創建当時の技術で可能だったはずだ。それでも春日大社は20年毎にお社を造り替えることで、いつでも新しく、いつまでも変わらないもの、つまり「永遠」を目指してきたのではないでしょうか。その根底には、日本人の常に新しい命を映え輝かせたいと願う蘇りの信仰がみえます。神様のお住まいは常に新しくきれいにしておかなければならない。20年という歳月では世の中の環境は変わってしまうでしょう。その中でも、先人の思いを大切にしながら、その時代に合った最高のものを新しく造ってきたのだ。
現代社会においても同じ事が言えるのではないか。私達の社会は、日々目まぐるしく進歩している。そんな中、忘れられがちな祖先を敬い大切にするという、本来の美しい日本人の心を未来の子供達に伝えていく(甦らせていく)ことが、私達の使命であろうと思う。
今後も会員皆思いを一つに邁進していきたい。心に残る研修でした。
春日大社様有り難うございました。

 

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2015年08月10日 徒然日記

家族親睦会

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去る8月10日、親睦会が開催され河合町の大和川河川敷でバーベキューを楽しみました。

今回の開催は約10年振りということもあり、大人44名、子供13名の計57名と多くの方にご参加頂きました。

前々日、前日と不安定な天候が続いており、当日も少し小雨が降りましたがすぐに止み、楽しい一時を過ごすことができました。

大和川から涼風の吹く中、家族会は花房会長の挨拶、持田相談役の乾杯で始まりました。お肉ばかり食べている人、野菜とお肉とバランスよく食べている人、食べるよりも飲む方を優先している人と三者三様でしたが、皆々が炭火を囲み思い思いに談笑し、日頃の社務の疲れを忘れ親睦を深めていました。また、奥様方同士でも交流を深めていたようで、いたるところで会話の弾んだ声が聞こえていました。

さらに、バーベキューだけでなくスイカ割りや花火も行われ、私達会員だけでなく奥様方や子供達といったご家族の皆さんも一緒になって充実した時間を過ごして頂けたと思います。