2018年06月01日 徒然日記

神道青年全国協議会 中央研修会

去る3月7日・8日の2日間にわたり、長崎県佐世保市 ハウステンボス内「JRAゲルックホール」に於いて、神道青年全国協議会 中央研修会が開催されました。今回の研修の主題は「地方創生―消滅可能性集落と神社の爾今を考えへる」となっており、全国各地から約350名もの青年神職が集いました。7日の第一講では地方創世の第一線で奮闘されておられる衆議院議員 石破茂先生に「地方創生概観」とういう題目でご講演賜りました。第二講ではパネルディスカッションにて皇學館大学の櫻井治男先生、内閣府の芝沼隆太先生、長崎県神社庁副庁長の吉村正徳先生3名が「集落と神社の今後の可能性」という題目でお話しくださりました。夜は懇親会があり、その冒頭では国重要無形文化財の壱岐神楽をご披露頂きました。8日の第三講では地元長崎県出身である㈱ジャパネットたかた創業者の髙田明先生に「今を生きる」という題目でご講演頂きました。

どの先生方もわかりやすく丁寧に我々日本人が直面している問題の重要性をお話し下さりました。我々、青年神職が神社と地域に可能性を見出し、伝統を守りつつ時代に即しながら地方創生という大きな課題に取り組んで行かなければならないと感じた二日間となりました。

また、1日目懇親会終了後には平成24年より姉妹神青の関係にある宮崎県神道青年会の方々との交流会をハウステンボス内 BBQテラス コリーダにて行いました。貴重な交流の機会にお互いの近況等報告しながら和気藹々とした雰囲気の中親睦を深めることができました。

2017年05月16日 徒然日記

神武天皇二千六百年記念事業「世界平和祈願祭」

二月二十日・二十一日、八紘之基柱前並びに宮崎神宮に於いて、神道青年全国協議会主催による神武天皇二千六百年記念事業「世界平和祈願祭」が斎行され、全国から一一三名の会員が参列した。奈良県神道青年会は平成二十六年より宮崎県神道青年会と姉妹神青として交流を初めており、同交流も兼ねて四名が出席した。

二十日は午前中より荒天に見舞われ、飛行機が遅れる等交通機関に影響があり、集合時間に間に合わない者もあった。午後二時、宮崎神宮会館に集合した出席者へ、神青協長友安隆会長が挨拶され、急遽二日目の祭場が変更された経緯やこの事業に対する想いを述べられた。その後、会員一同宮崎神宮の大前に於いて正式参拝を執り行い、この事業の成功を祈念した。続いて、宮崎市の平和台公園内に位置する八紘之基柱(現平和の塔)へ移動。この塔は罪穢を祓う御幣の形を模しており、昭和十五年の紀元二千六百年奉祝記念事業の一環として、宮崎県奉祝会(代表仝県相川勝六知事)による事業として、「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」を作る事とし、昭和十四年より着工、延べ約六万人の労働により翌年に完成した。
午後四時には全ての準備が整い八紘之基柱前で祭典が執り行われた。引続き神賑行事として、熊本県神道青年会による肥後神楽「四剣」、長崎県神道青年会による平戸神楽「二剣」、神道青年九州地区協議会による舞楽「抜頭」が奉納された。冷え込む中ではあったが多くの道行く方も足を止めて観賞され、午後六時過ぎに全日程が執り納められた。その後、バスにて宮崎観光ホテルへ移動し、九州地区主催にて懇親会が設けられ、再会を祝う等和やかな雰囲気のもと、それぞれが懇親を深めた後、各々明日の祈願祭に備えた。
翌朝二十一日、前日の荒天は嘘のように晴れ、暖かな春のような日差しのもと、午前七時に宮崎神宮会館に集合。祭員は斎服を着装し、参列者は白衣白袴に改服した。定刻、一同大前に参進し宮崎神宮杉田宮司を斎主に以下祭員三十二名、伶人七名、舞人四名の奉仕により世界平和祈願祭が斎行された。神青協を代表し長友会長が祭詞を奏上し、参列の会員も心を一つに祈りを捧げ、祭典は厳粛且つ盛大に執り納められた。改服の後、名残惜しくも再会を誓い、それぞれ帰路へ着いた。

2017年05月16日 徒然日記

神道青年全国協議会平成28年度中央研修会

3月23日・24日の日程で「神道青年全国協議会」が主催する中央研修会が広島の地で開催され、当会からも6名が出席した。この研修会の主題として「平和の希求 ~進むべき未来の道筋~ 」が掲げられ、真の平和とは何かを考究し、直面する危機への在り方、進むべき道を検証することに加え、先人達の遺志、そして平和を切望する広島の記憶を共有し、これを後世へと受継ぐことを趣旨とした。
一日目の開講式には多くの御来賓に御臨席戴き、代表して広島県神社庁川通泰庁長にご祝辞を頂戴した。第一講は講師ケント・ギルバート先生(カリフォルニア州弁護士)・演題「真の平和を実現するために」として「これからの日本を考えるには、戦後を考えると良い。そしてメディアより与えられる情報だけではなく自ら情報を得て、多角的に物事を検証し見極める力を養う必要がある。そして自虐的史観から脱却する為に、たくさんある日本の素晴らしいところを学び誇りを持って伝えるべきだ。」と講演頂いた。
第二講は講師戸髙一成先生(呉市海事歴史科学館・大和ミュージアム館長)・演題「戦後七十年と平和」として、大和ミュージアム開館までのプロセスや収集された資料、これまでお話を伺った元兵士の体験談等をもとに、「戦争を知らない世代が次世代に伝える時代、正しい資料が正しい結論に導いてくれる。物事は良い面と悪い面があって両方知って知るということになる。精密な戦艦大和の模型を展示するのはカッコ良さの裏にある背景に興味を持ってもらう目的もあり、素晴らしい技術も使い方によって結果が変わるということ。大和は技術のシンボルであり、使い方を間違ったシンボルでもある。」と講演いただいた。特に印象的だったことは「人間は、泳いでは魚に負け、走っては動物に負け、鳥の様に飛べない。しかし、考える事ができる。戦争を知らない世代が次世代に伝えることは難しいが、考える力がある限り出来ないことはない。戦争はあってはならないからこそ、多くの人がその史実に耳を傾けなければならない。」と仰ったこと。
この後は、広島県神道青年会による趣向を凝らした余興を楽しみながら、和やかな雰囲気のもと懇親会が開催された。

 

 

二日目は午前8時に受講者全員で広島平和記念公園内原爆死没者慰霊碑前で黙祷し原爆で亡くなられた御霊らが安らかならん事を祈念し神式で拝礼した。その後、三講目、講師志賀賢治先生(広島平和記念資料館館長)・演題「記憶の継承」として、1945年8月6日午前8時15分に何が起こったか、当時の写真の多くがアメリカやイギリスに持ち帰られていること、資料館が出来た経緯、展示資料への思いや現在改修中の資料館の今後の展示計画等をもとに講演頂いた。特に印象的だったことは、当然ながら展示資料も被爆しその状態からさらに経年によって劣化してきていること、また以前他県で講演された際、広島出身の女子学生から御礼の手紙を頂いたこと、その内容は「子供のころから何度となく平和についての勉強を学校で受けてきて正直いつもと同じ様なことだと思った。しかし、今日は自分と同じ年代の方が原爆の犠牲になったという実話を聴き、自分と重なって歴史の勉強ではなく現実として感じた」というものだった。

以上三人の御講師に講演を頂き、子供を持つ親としても次世代へ平和を継承する為にも慨深いものがあり有意義な研修会であった。またこの研修会の初日、早朝の広島平和記念公園内原爆死没者慰霊碑前での風景は、早朝の散歩をされる方や、通勤の方、青年等が手を合わせたり一礼する姿が印象的であり、資料館のデジタル時計は原爆投下から過ぎた日数(26162日)と最後に核実験が行われた日数(195日)が表示されていた。
次回は、平成30年3月7日、8日は九州地区が主管し、長崎県は佐世保市にあるハウステンボスで開催される。

2017年03月02日 徒然日記

奈良県神道青年会臨時総会

去る平成29年1月23日(月)、橿原神宮貴賓館に於いて、奈良県神道青年会臨時総会が開催され、ご来賓に橿原神宮宮司久保田昌孝様をお迎えし、県内会員23名が出席した。
花房会長挨拶に続き、ご来賓の祝辞として久保田宮司様から、斯界の尖兵として、青年会益々のご活躍を期待したいとの有り難いお言葉をいただいた。
議事では、議長に上野潤理事が選出され、次年度の新執行部を決定する重要な協議が行われ、次期会長に多田君(現 事務局長・橿原神宮)、次期監事に神田君(現 副会長・御霊神社)高井君(現 理事・大神神社)が承認された。
これまで花房会長が執り進めてきた本年度事業もあと僅かと迫り、各執行部が足並みを揃えて、新執行部にバトンを引き継げるよう努めて参りたいと思う次第である。
臨時総会後、恒例の新春互礼会(新年会)が橿原観光ホテルで開催された。ご来賓として、当会第17代会長であり、大先輩である、橿原神宮禰宜上田宗弘様に御臨席賜り、当時のお話を伺いながら、互いの懇親を深め合い、終始和やかな裡に終宴した。

 

来賓 橿原神宮 宮司 久保田昌孝様

 

 

臨時総会  於 橿原神宮貴賓館


 

平成29年度30年度の新執行部

中央 多田 君(新会長)

右 高井 君(新監事)

左 神田 君(新監事)

 

新春互礼会(新年会)

於 橿原観光ホテル

 

2017年02月28日 徒然日記

奈良県神社庁長杯親睦スポーツ大会

去る平成29年2月27日午後2時半より、奈良県神社庁長杯親睦スポーツ大会が開催されました。

今回は多くの参加者が気軽に楽しめる「卓球」がスポーツ大会の種目に選ばれましたが、会場を見つけるにあたり卓球競技は人気があり、各体育館では予約で一杯で最終的に開催場所は橿原市にある香具山ブックリーとなりました。

当日、開始前より集まった人より練習に励み始め、参加者一同のやる気を感じさせられるものでした。

開催に先立ち、神田憲明副会長の挨拶を頂き、大神神社・橿原神宮 ・春日大社・諸社各チームの総当戦で行われました。

結果として、優勝は大神神社となりましたが、優勝決定戦は大神神社と春日大社とで引き分けとなり、延長戦でどちらが勝ってもおかしくない接戦となり、参加者一同卓球を楽しむ事が出来ました。

卓球大会終了後、午後5時半より桜井市の台湾料理屋にて表彰式と懇親会が行われ、皆楽しいひとときを過ごす事が出来ました。

 

【参加者の声】

たくさんの神道青年会員の参加のもと、大いに盛り上がったスポーツ大会となりました。
普段あまり体を動かさない私ですが、清々しい汗をかくことができ、爽やかな気持ちで参加することができました。
今後の活動にも積極的に参加し、会の発展に努めていきたいと思います。

 

 

 

 

2016年12月03日 徒然日記

役員研修会 桜井市 月山日本刀鍛錬道場記念館(茅原)見学 神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑視察

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12月2日午後2時30分より役員研修会を開催し会員11名が参加。今回は桜井市茅原にある月山日本刀鍛錬道場記念館の見学と記念館に隣接する神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑の視察を行いました。

月山日本刀鍛錬道場記念館は人間国宝刀匠月山貞一氏が、桜井市茅原に(昭和40年)鍛錬道場を開設。1995年(平成7年)に記念館を開館。

記念館には人間国宝 故 月山貞一、貞一の三男で日本刀制作部門無形文化財の指定を受けた月山貞利までの作品が展示されている。

月山は平安時代後期に出羽国月山の霊場に住んだ鬼王丸(鬼神太夫)を元祖する刀工とその一派。

江戸時代後期に月山弥八郎貞吉は大阪に鎗屋町に拠点を移したが、この系統が現代まで残り活動している。大阪より京都の亀岡、奈良の吉野などを経て現在は桜井市茅原の三輪山の麓に拠点を置いている。

月山弥八郎貞吉の養子 弥五郎貞一は刀身彫刻や月山派の特徴である「綾杉肌」という刃に向かって規則的に連なる波状の紋様の復元に貢献し1906年(明治39年)帝室技芸員に任命された。1876年(明治9年)の廃刀令によって一般人の帯刀が禁止されたため刀匠にとっては不遇な時代に活躍した。明治天皇の軍刀や皇族の作刀も行っている。

貞一の長男 月山貞勝や孫の月山貞一(二代貞一)と継承され、当代は二代貞一の三男月山貞利。その長男貞伸も作刀活動を行っている。

12月2日当日、月山貞利氏と貞伸氏より刀の姿形の変遷と月山の刀の特徴、刀を鑑賞するポイントなどのご説明を受けた。

姿形はその時代によって変わっており、平安時代中期以前の刀剣は直刀(ちょくとう)という真っ直ぐな形だったが、平安時代後期から室町時代初期には馬の上から相手を斬る為、刀身が反り長い形になっており、太刀(たち)という。

これに対し、室町時代中期以降より、江戸時代には歩兵戦で使用する長さが太刀に比べ短い、刀(かたな)が作られるようになりました。

展示してある時、太刀は刃を下に刀は刃を上に向けて展示してあります。

刀剣を見るポイントとしては姿形・地肌(じはだ)・刃文(はもん)の3点。姿とは刀身の幅や厚さ、刀の背の部分の反り具合、刀の先のとがった部分などの日本刀全体の形状。

地肌は刃の上にある黒く見える部分。

刃文は日本刀の刃の部分に見える焼き入れの工程で出来る模様。

月山の刀は地肌が綾杉肌と言われる独特刃に向かって規則的に連なる波状の紋様が挙げられる。

流派によってこの紋様は異なっているとの事。

刀剣は照明の無い状態で展示すると、暗く怖い印象を与える為、ライトアップをする事により、刀剣に対する印象が明るくなる為、非常に重要だととの事。

刀工にとって苦難の時代は、明治時代に発せられた廃刀令の以降であり、日本刀の需要が大幅に減少したとのお話であったが、それ以上に厳しかったのは、1946年(昭和21年)連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による刀剣類の没収であり、この時は刀を作る事を禁止された為、廃業や転業する刀工が相次いだ。この一番の困難に直面した時、月山派の当主は二代月山貞一氏であり、この苦境を乗り越えて月山の技術を絶やす事無く伝承した。その事もあって、月山貞伸氏が刀工になりたいと言った時、貞利氏は勧めはしなかったとの事。

月山派が三輪山の麓に根拠地を置き日本刀を作っている事と日本刀をつくる事を禁止されてまで、その技術を残そうとした事に対し気がつかされる事は武器以外として用いられる日本刀の事である。歴代天皇は鏡 、勾玉、剣の三種神器を継承されておられ、三種神器の剣は神器としての剣である。

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あたかも剣の意義が原点に帰って来た感じを受けるものあり、この月山日本刀鍛錬道場記念館見学の後、側にある神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑の視察を行った。神武天皇が七媛女と会われたと伝えられる場所で、一番先頭にいた媛踏鞴五十鈴媛命を皇后とされた。

神と武の漢字がつけられておられる神武天皇はあたかも三種の神器の剣を表しているようにも思われ、皇后とされた媛踏鞴五十鈴媛が三輪山の主祭神 大物主神の娘である事から考えても月山派が、三輪山に根拠を置いている事は何か神のお導きを感じるもので、剣を御守として見直す時代になって来たのでは無いかと感じる。

日本刀に興味のある方は是非訪れた方が良いと思います。

月山日本刀鍛錬道場記念館の場所は下記の通りです。

月山日本刀鍛錬道場記念館

〒633ー0073 奈良県桜井市大字茅原228ー8

TEL0744ー42ー3230(記念館・道場)

TEL・FAX0744ー42ー7330(自宅)

■開館日 毎年3月〜11月まで毎週土曜日(8月休館)

■会館時間 午前10時より午後4時迄

■入場 無料

■交通機関 JR桜井線 三輪駅より徒歩15分

(山の辺の道、天理方面へ5分)

近鉄桜井駅よりタクシー10分

 

 

2016年11月18日 徒然日記

神社新報掲載

去る9月26日に行われました、当会勉強会の様子が11月14日付 神社新報に掲載されました。是非ともご覧下さい。

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2016年11月10日 徒然日記

南都聖和会との親睦交流会

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去る10月18日、東大寺大仏殿にて南都聖和会との親睦交流会が開催された。当日は、両会合わせて34名が参加した。
毎年、当会と南都聖和会が隔年交代で幹事となり、今年は南都聖和会の企画で本年は東大寺様の特別のお計らいもあり、東大寺大仏殿屋根裏大虹梁の見学が行われた。大仏殿の屋根裏までは高い階段を慎重に上って行き、大仏様より高い所であるので、高所が苦手な方は苦労しながらではあるが、皆上りきることができた。そこには普段見ることのできない角度からの大仏様や、大虹梁という江戸時代、大仏殿再建時に宮崎県の白鳥神社より運んでこられた二本のアカマツを特別な計らいで見ることができ、大変貴重な経験をさせていただいた。また、上り下りには緊張感もあり楽しさも感じられた。
その後、奈良春日野国際フォーラム甍~I・RA・KA~内のリストランテ オルケストラータにて、懇親会がとり行われ、聖和会の方々と様々な話をして楽しく、時間が経つのも忘れて両会の親睦を深めあった。
今後も両会の交流を深め、互いに助け合い発展していけるようにしたいと感じた。

2016年08月16日 徒然日記

奈良県出身戦没者追悼式 

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去る平成28年8月15日に奈良県護国神社にて英霊にこたえる会奈良県本部主催による戦没者追悼式が行われ、当会より祭員、奏楽奉祀並びに花房会長が参列致しました。
大変暑い中にも関わらず国会議員や県会議員の方々をはじめ御遺族の方々約四百名が参列され、祭典では黙とうにより御英霊に感謝の誠を捧げ、大正琴の楽に合わせ、参列者全員での『同期の桜』『ふるさと』の合唱が御霊に献じられました。
今年はリオオリンピック開催中で、日本国中が日の丸を背負い戦う代表選手の姿に心打たれている中での式典であり、先人の方々が当時、文字通り命を懸けて今日の日本の国の礎を造られたことに改めて偉大さを感じる式典になったと思います。
今回、神職として祭典奉祀を通じて御英霊に感謝の誠を捧げることが出来たことに感謝し、今後とも青年神職として慰霊・顕彰を後世に継承していく一助を担えるよう祭典奉祀を継続して行うことが大切であると再確認しました。
(高鴨 鈴鹿)

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2016年07月25日 徒然日記

禊鎮魂錬成研修会開催

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当会主催の禊鎮魂錬成研修会が、七月十一・十二日の両日、今年も石上神宮(森正光宮司)様の特別な計らいにより開催され、神道青年近畿地区連絡協議会 長谷川裕高会長を始め会員二十四名(女性一名含)が参加しました。

参加者は、先ず拝殿での正式参拝に参列し長谷川会長に合わせて拝礼し、引き続き行われた開講式では国歌斉唱・敬神生活の綱領唱和ののち、主催県を代表して高山副会長が「短期の錬成会ではありますが、共同生活の中、個々が目標を立て心身を鍛練し、全体として良い成果を修めるよう努めていただきたい」との挨拶がありました。

研修会は神社本庁錬成行事助彦で石上神宮禰宜の森好央先生より神社本庁錬成行事次第に基づく禊祓行事と石上神宮に古くから伝わる鎮魂(ふりたま)行事の作法についての入念な指導と心構えについて解説を受けた上で、十一日夕刻と十二日早朝、禊場にて禊行法を、拝殿において鎮魂行法をそれぞれ修めさせていただきました。森先生よりは「大人数で行う鳥舟行事は心と呼吸を合わせて行う事の大切さ」「鎮魂行法での腹式による深呼吸は日頃の生活でも実践できるので、是非日頃から意識してもらいたい」とのお言葉があり、清浄な神域で行われる禊鎮魂行法を通じて自己の体内に「良い氣」を充満させ、氏子崇敬者に元氣を分け与えていただくよう激励がありました。

また十一日夕刻には同会恒例の勉強会も開催。本年は大神神社権禰宜の山田浩之先生をお迎えし「齋部氏と古語拾遺」と題した講演が行われました。山田先生は『古語拾遺』に記されている齋部・中臣両氏の職掌について歴史地理・考古学成果の観点も取り入れた上で解説され、「謙虚に原文を訓み進める」ことの大切さと、「古代祭祀において重要な役割を担ってきた齋部氏について学ぶということは、単に氏族間の職掌の相違を識ることのみならず、古代祭祀の精神を今に認識する上で有意義なこと」と説明され、参加者一同、自社の祭祀の根源についても改めて学び考えていく切っ掛けになったのではないでしょうか。

十二日十一時よりの閉講式には、来賓として奈良県神社庁参事中川行夫様ご臨席いただき、研修生代表として長谷川会長に修了証が手渡されるとともに謝辞が申し述べられ、石上神宮様よりは特別に各自の名前が記された「玉の緒」が授与され、終始錬成会をご指導をいただいた森禰宜様より研修生を代表して大阪府神道青年会・庄司誠理事に手渡されました。

続いて参集殿で行われた直会にも、中川参事様、森禰宜様にもご来臨いただき、本研修会初参加者よりは、それぞれの感想や今後の意気込みなどを語っていただくなど和やかな雰囲気のもと行われました。遠方からの参加者もあることから神道青年近畿地区連絡協議会 飯尾真幸副会長の中締めの挨拶があり一本締の後、名残惜しくも散会となりました。この禊鎮魂錬成研修会は神社本庁の研修要項に準拠して石上神宮様のご指導ご協力の下、森厳な大和の古社に身を置き毎年開催されており、青年神職が相集い心を合わせ心身修養を行える絶好の機会として好評を博しております。

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