天河神社

てんかわじんじゃ

住所 〒638-0321 吉野郡天川村坪内107
URL www.tenkawa-jinja.or.jp
御祭神  市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
熊野坐大神(くまのにますおおかみ)
吉野坐大神(よしのにますおおかみ)
南朝四代天皇(なんちょうよんだいすめらみこと)
御由緒 天河神社は、日本の三代霊場である高野、吉野、熊野を結んだ三角形の中心に位置しています。
7世紀頃、修験道の祖である役ノ行者は、長年にわたり天河を活動の拠点とし、奈良県吉野の大峯山に75靡(なぴき)の道場を開山しました。また、空海(弘法大師)は、天河神社で修行を行った後、高野山で真言宗を築くに至りました。
社殿建立は、7世紀、天武天皇(てんむてんのう)が、戦勝祈願の功に対する感謝の印として、神殿を建てたのが最初であると伝えられています。現在の荘厳な社殿は平成元年に建てかえられたものであり、樹齢五百年・千年の吉野檜が使われています。
天河神社の御本尊は弁財天であり、これはヒンズー教の女神、サラスパティーと同一視されています。7世紀前半に、上述の修験道の祖、役ノ行者が、大峯山にて国の平和を祈願しましたところ、まず最初に、弁財天が、それから、男性の神、蔵王権現が姿を現しました。弁財天は優雅な女性の神であるため、荒々しい修験道の守護にはふさわしくないと判断し、役ノ行者は、大峯山系の最高峰である弥山に辨財天をお祀りしました。
日本には、五大辨財天と称し、天河・厳島・竹生島・江ノ島・金華山にお祀りされておりますが、その中でも第一位が天河辨財天とされ、芸術、文学、音楽、弁舌の神として知られています。

また、天河神社は中世より能と深く関わってきました。能の第一人者、世阿弥(ぜあみ)の嫡男十郎元雅(もとまさ)が永享2年(1430)の今から580年前ほどに、天河神社に参詣なされ、「唐船」というお能を神前に奉納、尉(じょう)の面、一面を寄進され「心中所願成就」をお祈りされた歴史は有名で、神社には貴重な能面・能装束・謡本等、国の重要文化財、県の指定文化財となっている能楽資料が二百数点所蔵されています。
年中行事 歳旦祭・節分祭・春季大祭・例大祭・観月祭・秋季大祭・新嘗祭・大祓式(6、12月)
他に五節句祭
主な文化財 能面30面(重要文化財)
能衣装・能関係品(県指定)
参拝時間 社務所(午前6時半~午後5時)
参拝は24時間
アクセス 近鉄「下市口」駅より奈良交通バス中庵住行き乗車にて天河大辨財天社前下車

(車)京奈和道御所南ICより国道309号線にて天川村へ
パーキング 御朱印 午前7時~午後5時 結婚式 要予約 旧社格
トイレ 祈祷 午前8時~午後4時(要予約)祭典日は停止 神葬祭 不可 式内社 別
宝物館 出張祭 要予約
※Googleマップのピンの位置は住所で表示しているため、境内から若干ずれる場合もございます。ご了承ください。